
バックカントリー。山にのぼってスノーボードですべっておりること。ほんとに楽しい。その楽しみのリターンは雪崩というリスクと表裏一体の関係にある。あらゆるバックカントリーの愛好家にとって雪崩とどうつきあうか?はさけては通れない。
フィールドで、雪山で遊ぶということは膨大な意思決定を繰り返すということだ。
どこのピークにのぼるか?どのラインでのぼるか?どこで休憩するか?ピットをほるとしたらどこか?どの斜面を滑るか?地形の罠をどうさけるか?
いろいろな状況判断、意思決定、行動を繰り返して、一日の山遊びがおわる。
雪山で遊ぶ事とは膨大な意思決定を山ですることだ。
無意識にしろ意識的にしろ膨大な意思決定を繰り返して一日が終わる。
意思決定の質が高ければ無事に下山し最高の思い出がのこり、質がひくいとつまらない山行になる。最悪の場合は今回のニュースのような深刻な事態になる。
山滑りをはじめて数年した頃に、自分が山でおもなう意思決定があまりにも無自覚、無意識でノリでやってることに危機感をもち、ずいぶん前、2005年くらいだったろうか、泊まりがけの雪崩講習にいったことがある。
そこでは実に多くの知識と技術を習った。
気象、雪崩の発生のメカニズム、リスクとはなにか?風向き、地形、樹木の様子、雪の層構造,ビーコンのか使い方、ピットの掘り方・・。
知識はほんとに役に立つ。
知識があると実に多くの事を「景色」から察知する事ができる。
講習前に一枚の雪山の写真をみて、どこに気をつけるか?といわれてほとんどわからなかったけど講習後には同じ写真をみて気をつけるべき点をいくつも指摘できるようになる。
知識とは見えなかったことが見える化するツールだ。
それ以来、知識を増やすことにしょぼいなりにそれなりにしたので以前よりは無自覚な行動、意思決定が減り、行動に理由をつけて決定できるようになった(気がする)。
なぜ右ではなく左のラインでのぼったのか?なぜあの斜面ではなくこっちの斜面をすべろうと意思決定したのか?
知識がないときは「なんとなく」「よさげだから」という無自覚な決定がおおかったが、知識がついてくるとなぜその選択をしたのか?の理由を説明できる、そんな意識的な決定ができるようななる。
知識が増えれば景色から受け取る情報量が増える。
ひとつ正しい意思決定をするとリスクにあう確率が減る。
正しい意思決定を10回繰り返せばそれだけリスクを10倍減らす事ができる。
間違った意思決定を10回繰り返すとかなり危険な状態になる。
立山の雪崩で7人の人がなくなったわけだが、彼らはどこでミスをしたのか?
4日も大量の降雪のあった中でそこにいってしまったのがミスだったのか?
大走という急斜面を選択したのがミスだったのか?
同じ斜面で助かった人と巻きこまれた人がいるがその明暗は何だったのか?
3年前に室堂に今くらいの時期にいったことがある。
3日間、ずっと爆弾低気圧の直撃で暴風雪にあって結局、バスターミナル横に雪洞を掘って停滞しておわってしまった。
下山の日、雪洞から外にでると、信じられないようなピーカンのパウダー。全山パウダー。
滑りたい!!3日も閉じ込められてフラストレーションはピーク。この景色、このパウダー、いきたい・・・心底そうおもった。
一方で3日の暴風雪の直後。雪崩の危険度はめちゃ高い。
結局、下山予定の変更をせずに予定どおり扇沢におりた。
帰路のことだがこんな会話をしてた。「今日って雪崩怖いけど、予定変更できたら絶対に突っ込んでたよな・・最初の数人がすべったらすぐに俺も俺もとドロップしたとおもうよな。」
東京にもどって、その日、立山で雪崩で遭難して数名がなくなったというニュースに接した。
もしあのとき、予定が変更できたら、俺たちはどういう意思決定をしたのだろうか?
それ以来、判断をする際に自分はものすごく臆病になった。
知識は人を賢くするが、判断の質をあげるのは、経験からの学びが不可欠だ。
臆病になること、チキンになること多分いいことなんだとおもう。
イケイケで攻めてる友達を見るとうらやましい、すごいなあと羨望してしまう。
でもいまは自分の臆病さを隠さずにきちんと向き合って臆病な判断を繰り返していきたいとおもう。
それが自分のスタイルだから。